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東京地方裁判所 昭和37年(ワ)1193号 判決 1962年12月12日

判   決

原告

蒲勇

原告

蒲美津子

右両名訴訟代理人弁護士

佐藤英二

東京都港区赤坂溜池町一二番地

被告

国際タクシー株式会社

右代表者代表取締役

波多野元二

右訴訟代理人弁護士

後藤正三

右当事者間の損害賠償並びに慰藉料請求訴訟事件について、つぎのとおり判決する。

主文

原告らの請求を棄却する。

訴訟費用は、原告らの負担とする

事実

原告ら訴訟代理人は、「1被告は、原告勇に対し金一〇〇万円、同美津子に対し金一〇〇万円及びそれぞれこれに対する昭和三七年三月一日から支払ずみに至るまでの年五分の割合による金員を支払え。2訴訟費用は、被告の負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言を求め、その請求の原因として、

一、昭和三六年五日二一日午前一〇時ころ、千代田区永田町二丁目一九番地先道路上において、訴外内野剛運転の五八年型ホンダドリーム号自動二輪車(以下原告車という。)と、訴外草野健二運転の六〇年型トヨペット四輪乗用自動車(5え五二七三号、以下、被告車という。)とが衝突し、よつて、原告車の後部座席に同乗していた訴外蒲勇次は、外傷性右腎々門上部及び後腹膜下出血その他の傷害を受け、同日午後一時ころ死亡した。

二、被告は、被告車を自己のため運行の用に供していたものである。すなわち被告は、被告車を所有し、その経営するタクシー業のためにこれを被用者である訴外草野に運転させていた。従つて、被告は、本件事故の発生によつて訴外勇次及び原告らが受けた後記の損害を賠償すべき義務がある。

三、訴外勇次及び原告らが受けた損害は、つぎのとおりである。

1  訴外勇次の得べかりし利益の喪失による損害金二六三万円。すなわち、同訴外人は、昭和一八年四月一八日出生し、高校三年に在学中本件事故で死亡したものであるが、もし、同人が生存していれば、将来取得できる平均月収額を金二六、六二八円(労働省労働統計調査部調査、全国産業労働者昭和三六年度中平均月収額)として、これに同人が満二〇年から以後の労働可能年数三五年を乗じ、この金額から、同人が必要とする月額生治費金八、二六九円(総理府統計局調査、昭和三六年全国平均一人当り月額生治費)に右労働可能年数と満二〇年に達するまでの年数の和である三七年を乗じた金額を控除し、さらに、ホフマン式計算法によつて年五分の割合による中間利息を控除した金額である。

2  原告らが、訴外勇次の治療費及び葬儀費用として支出を余儀なくされたことによつて受けた損害金二〇五、四七八円。

3  原告らの精神的苦痛に対する慰藉料各金三〇万円。

訴外勇次は、原告らの一人息子で、考心厚く、学校の成積も優秀であつた。原告らは、同訴外人の将来を唯一の頼みにしていたのであるが、本件事故によつて不慮の死に遭遇し、筆舌に尽しがたい苦痛を蒙つた。原告らのこの苦痛を慰藉するために原告各自について金三〇万円の慰藉料が担当である。

4  原告らは、訴外勇次の父毎として、同訴外人の被告に対する1の損害賠償請求権を各二分の一の割合で相続したから、原告らは、それぞれ被告に対し金一、三一五、〇〇〇円づつの損害賠償債権を取得した。

四そこで原告らは、被告に対し前項記載の損害賠償債権のうち、2については各金五万円、3については各金三〇万円及び4については各六五万円合計一〇〇万円づつと、それぞれこれに対する弁済期を経過した後である昭和三七年三月一日から完済に至るまでの民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める、と述べ、被告の抗弁に対し、

一1 第一項1記載の事実は、本件事故発生現場が、三叉路の一〇米手前であるとの点を除いて認める。事故現場は、三叉路で諸車徐行地区である。

2 同2記載の事実中被告車が東京駅から乗客一人を乗せて前記道路を進行中であつたこと、その反対方向から観光バスが一台道路の左側を進行して事故発生現場の直前で左へ転舵したこと、原告車が事故発生現場において中央線を若干逸出したこと、及び訴外内野が原告車を運転するについて若干過失のあつたことは認める。訴外草野が原告車を約二〇米手前で発見し、急制動の措置をとつたことは知らないしその余の事実は否認する。訴外勇次は、単なる同乗者で、原告車は、訴外内野の判断と責任において運行されていたものであるから、同訴外人に過失があつてもそれは訴外勇次の過失ではない。さらに、本件事故は、訴外草野の過失によつて生じたものである。すなわち、本件事故発生現場は、前記のように曲り角の三叉路であつて諸車の徐行地区である。また、自動車運転者は、対向方向から進行してくる車輛等の動静に注意し、衝突の危険を感じたときは直ちに避譲し、事故の発生を防止すべき義務があるにもかかわらず、同訴外人は、現場付近に差しかかつても漫然と時速四〇粁の速度のまま進行し、現場付近から右曲りするため中央線付近を徐行し、曲り角においては、中央線を右に超えて曲ろうとし、かつ、原告車を約三〇米手前で発見できたにもかかわらず、自らは何らの避譲措置も講ぜず、原告車が避譲することにのみ期待をかけて進行したため本件事故を惹起したのである。

二、第二項記載の事実は、全部これを否認する。

とりわけ、被告車の制動装置の機能は、不完全であつた。すなわち、本件事故発生現場に残された被告車のスリップ痕をみると、左車輪の分は四、五米、右車輪の分は、やや後れて一、五米であるが、後車輪のスリップ痕はない。被告車のこの制動装置の調整が不十分であつたことが、被告車の空走距離、制動距離を長くしたため本件事故の発生が避けられなかつたものである。

三第三項1及び2記載の主張は争う。訴状における原告らの主張は、原告らの蒙つた損害中金一〇〇万円を超える部分については、本訴において請求しないとの趣旨であつて、超過部分の請求権を放棄したものではない。

仮りに、訴状において請求の一部放棄があつたとしても、それは、原告らが訴状において主張した全損害額金二、二一六二、三八九円から内金一〇〇万円を控除した金一、一六二、三八九円についての請求権の放棄である。そこで、原告らは、訴変更後の請求金額については、この分を考慮して損害金の一部請求をしているのである。

と述べ(立証省略)た。

被告訴訟代理人は、主文同旨の判決を求め、請求原因に対する答弁として、

一、請求原因第一項記載の事実は、原告車の運転者の点を除きその余を認める。原告車を運転していた者が訴外勇次であるか、同内野であるかは知らない。

二  同第二項記載の事実中被告が被告車を自己のため運行の用に供していたものとして主張する事実は認めるが、その余は争う。

三  同第三項記載の損害の発生及びその額については争う。

と述べ、抗弁として、

一  本件事故は、訴外勇次及び同内野の過失に起因するもので、訴外草野には被告車の運行について過失はない。すなわち、

1  本件事故が発生した道路は、制限速度毎時四〇粁の平坦なコンクリート安全舗装の道路で、車道幅一四、五五米、両側歩道各三、六米、車道中央には中央線が画されていた。そして、国会議事堂前から平河町へ向つて本件事故現場の約一〇米先において約四五度右に曲り、さらに幅一〇、四二米の道路が左に四五度の角度で分岐して三叉路になつている。当日は晴天で薄日がさし、路面は乾燥して良好な状態であり、日曜日なので交通量は少なかつた。

2  被告車は、東京駅から乗客一人を乗せて原宿に向うべく、この道路を国会議事堂前から平河町方面に向つて時速約三五粁の速度で左側を進行し、同車の後方左斜にはライトバン型四輪自動車一台が追尾していることが、バックミラーによつて確認されていた。そして、被告車を運転していた訴外草野は、前記曲り角に近づいたので若干速度を緩めた。この時、反対方向から車幅約二、四米、車長約一〇、七米の観光バス一台が道路の左側を時速約三〇粁の速度で進行してきて前記曲り角で左に転舵した。車体の長いバスのこの左転舵によつて、バスの右側尾部は、道路中央線近くまで尾を振る結果となつたのである。ちようどその時、このバスの陰から道路中央線寄りにバスを追越す形で原告車が突然飛び出してきた。それは横滑りの不安定な状態で、スリップをしながらのジクザク進行であつた。これを約二〇米手前で発見した訴外草野は、直ちに少くし左に転舵しながら急制動を施した。前記のように、被告車の左斜後方に追尾している車輛があつたので、被告車は、大きく左に転舵することはできなかつたのである。被告車は、六米を空走してからスリップしながら停車し始めた。ところが、原告車は、前記不安定な状態のまま中央線を突破して、左側通行ををしている被告車の進路前面に約二米近く逸出し、その前輪を軸にしてほとんど直角に左転回した。このため、原告車は、停車しかかつている被告車の右前部バンバー、フエンダーに自ら激突したのである。被告車は、その接触後一、八米のスリッブを続けて停車した。原告軍の進行状況からみて、同車は、追越禁止の交叉点においてバスを右側から中央線を越えて追越すべく時速約六〇粁の制限違反速度で進行したところ、道路が左に約四五度の角度で曲つているため、その速度では左転舵ができず、急拠制動を施したが、高速であつたためと、二人乗りをしていたためにその操縦を過り、重力が前輪にかかり、前記のように不安定な状況で被告車の走路前面に逸出してきたものと考えられる。

以上の次第であるから、訴外勇次及び同内野は交叉点における追越禁止に違反し(道路交通法第三〇条)かつ、追越をする場合には反対方向からの交通、前車の進路、道路の状態を注意し、安全を確め、事故の発生を未然に防止すべき義務(同法第二八条第三項)に違反し、不用意にも制限速度以上で中央線右側に逸出し、そのうえ操繰を過つた過失が重なつて、本件事故を自ら惹起したものである。しかも、およそ高速度で対向進行する車輛が互に左側通行を守り、正常な運転をして進行すれば、衝突事故を起すおそれの全くない幅員の広い道路においては、車輛の運転者は、互に対向する他車が左側通行を守り正常な運転をするであろうと期待し、事前に徐行、停止等の事故防止処置を講じないで進行するのが普通である。訴外草野もこの当然の運転方法をとつていたのである。従つて、このような場合に、対向進行する原告車が、それまで訴外草野の視角外のバスの蔭から飛び出し、同訴外人の予期に反して至近距離で右側通行に変移し、被告車の走路前面に逸出するときは、とつさの衝突事故を起すことは明らかである。訴外勇次及び同内野らが追越の場合の前記注意義務を守らないときは殊にそうである。かような状況における本件事故の原因は、同訴外人らの過失のみにあり、訴外草野には、何らの過失もなかつたことは明らかである。

二  被告は、被告車の運行について過失なく、被告車には、構造上の欠陥又は機能の障害はない。

被告会社は、東京都内において多年タクシー業を業み、顧客から多大の信用を博しているが、その信用は、常時車輛の整備に努め、熟練した運転手を採用し、これに常時運転技術と交通法規の指導向上を徹底し、確実な運転管理に努め、以て事故の絶無を期していることによつてえられたのである。

訴外草野が、原告車の危険な運転を至近距離で素早く発見してから、被告車を停止させるまで(すなわち停止距離)に空走距離(反応距離)と操作距離六米、制動距離四、六米を要したのみである。警視庁の統計によると、四輪乗用車が時速三〇粁の場合においてさえ、空走距離八、三米、制動距離三、九米時速四〇粁の場合で空走距離一一、一米、制動距離七、〇米を要するのである。すなわち、被告車が前記の停止距離で停止することができたのは、その車輛整備が良好で、被告車の構造、機能に欠陥がなく、かつその運転者であつた訴外草野に不時の場合における緊急措置を指導徹底させていたことによるものである。なお、被告車は、本件事故発生の六日前である昭和三六年五月一五日、道路運送車輛法に規定されている分解整備事業者によつて特別精密な分解整備及び検査を終えたばかりであつて、同車の制動機能をふくめて、本件事故発生当時、完全な整備状態であつた。

三  仮りに、本件事故による損害賠償責任が被告にあるとしても、

1  原告らは、訴状において合計金一〇〇万円を超える部分の請求権を放棄しているのであるから、その後における請求の拡張は、その範囲においてすでに理由がない。

2  本件事故は、訴外勇次及び同内野ら原告車の側の過失に大半の原因があるのであるから、損害賠償額を定めるについてこれを斟酌されるべきである。

と述べ(立証省略)た。

理由

一  請求原因一記載の事実(本件事故発生)は、原告車の運転者の点を除いて当事者間に争いがなく、本件事故発生当時原告車を運転していたのは、訴外内野剛であつて、訴外蒲勇次は、同車の後部座席に同乗していたものであることは、証人(省略)の各証言によつて明らかで、他にこの認定を左右すべき証拠はない。

二  被告が被告車を所有し、これを使用者である訴外草野に運転させてタクシー業を営んでいたことは、当事者間に争いがないから、被告は、自動車を自己のため運行の用に供していたものというべきである。

三  そこで被告の抗弁について判断する。

1  (証拠―省略)を総合すると、本件事故が発生した道路は、国会議事堂正門前から千代田区平河町方面に通ずる、平坦な車道幅一四、二米のアスファルト舗装道路で、車道中央に中心線塗装が施されていたこと、本件事故発生の当日は、晴天で路面は乾燥していたこと、原告車と被告車との衝突地点は、中心線の南側に〇、七米の距離を置いて平行に引いた線と、道路の北側にある永田町六七号電柱から半径一二、八米の円周とがこの電柱の東南方で交る地点であること、この道路は、右電柱付近を内側にして北西方に屈曲していること、(その角度が、約四五度であることは当事者間に争いがない。)この電柱の向い側(南側)からは、日比谷高等学校方面に通じる道路が分岐していること、(この道路幅が一〇、四米であることも当事者間に争いがない。)この曲り角を三叉路とみても、前記の衝突地点は、交叉点内ではなくその東側であること、訴外草野は、被告車を運転してこの道路を国会議事堂正門方面から平河町方面に向つて、道路の中心線の進行方向に向つて(以下同じ)左側を時速約三五粁の速度で進行したところ、衝突地点から約一〇、一米手前の地点において、前方の曲り角付近に現われた大型観光バスの右脇(道路の中央側)から時速約四〇粁の速度で進行してくる原告車を約二〇米の距離で発見し、危険を感じて僅かにハンドルを左に切りながら急制動の措置をとつたこと、当時、被告車の左後方には一台の自動車が追尾していたので、草野としては被告車を左側に大きく避譲することができなかつたこと、被告車は原告車を発見した地点から約六米空走した後、制動効果が現われ、原告車と衝突後なお一、六米前進して停止したこと、制動効果が現われた地点から停車した位置に向つて被告車の左前輪によつて印されたと認められる長き四、七米のスリップ痕と停車位置から逆に長さ一、六米の右前輪によつて印されたと認められるスリッブ痕が路面に残されていたこと、他方、訴外内野は、平河町方面から国会議事堂正門方面に向つて、大型観光バスの右後方から前示の速度で進行したが、このバスが前示の曲り角で滅速したため、同所で徐行しなかつた原告車は、バスを右側から追越す形になりその右前方に進出したこと、そして二十数米前方から進行してくる被告車に気付き急制動を施したところ、衝突地点から約一〇米手前の地点から制動効果を生じ約五米スリッブしたが、惰力で衝突地点に達したこと、原告車は、衝突寸前時において、前輪をほぼ北にし、後輪を南にして被告車に右側面を向けた形で車体の大部分が中心線の右側になり、ほとんど停止した状態であつたこと、両車の衝突箇所は、被告車の右前部付近と原告車の右後部付近であることがそれぞれ認められる。(中略)他にこの認定を左右すべき証拠はない。

右の事実中、原告車が曲り角で徐行せず、大型バスの右側を追越す形になつたこと、被告車は終始道路の左側を進行していたにもかかわらず原被告両車がほとんど同時に相手車を認めて急停車の措置をとつていること及び衝突地点が中心線の南側であること等によつて考えれば、原告車はバスの右側前方に出た当時において少くとも中心線の極く近くにあり、しかも徐行しなかつたため中心線に沿つてハンドルを十分左に切ることができず、その儘進行すれば中心線を右に越え、被告車の前面に出て両車衝突の危険を感じるような状況にあつたこと、及び原告車は、少くとも衝突時において中心線の右側に出ていたことが認められる。(中略)他にこれを覆すに足りる証拠はない。もともと、車輛の運転者としては、前示のような曲り角において徐行して進むべきであつて、他車を追越してはならないことは、道路交通法第四二条、第三〇条の各規定によつても明らかであるうえ、進行方向に向つて中心線の右側を進行してはならないことも、同法第一七条の規定によつて明らかである。ところが、訴外内野は、これらの義務を怠り、ただでさえ見通しの悪い前示曲り角において、大型バスの蔭で一層前方の見通しがきかない地点に差しかかりながら、徐行することもなく、しかも、その儘の速度で進行すれば大型バスの右側を追越す形になつて道路の中央に出ることになることは当然わかる筈であるのに、漫然と前示速度で進行したため、ハンドルを十分左に切ることができず、遂に中心線を右に超えて被告車の前面に逸出したものであるから、訴外内野には本件事故の発生について重大な過失があつたものといわなければならない(訴外内野に若干の過失のあつたことは原告らの認めるところである。)

他方、訴外草野は、被告車を運転して道路の左側を進行し、原告車を発見して直ちに急停車の措置をとつたのであり、しかも、その地点は、前示曲り角付近を三叉路とみてもその交叉点の手前であり、当時原告車が進行していた曲り角付近からは未だ二〇米以上離れていたのであるから、被告車が原告車を発見したころ徐行していなかつたとしても、交叉点ないしは曲り角付近における徐行義務に違反したとするわけにはいかない。また、原告らは、被告車が左側に避譲すれば本件衝突は避けられた旨主張するが、前示のように、被告車の左後方を追尾する他車があつた場合に、これとの衝突を避けようとした訴外草野の、左への譲避措置の不十分さは当然のことであつて、これを責めるのは酷である。そうだとすると、同訴外人には、本件事故の発生について責められるべき何らの過失がなかつたものというべきであり、このことは、同訴外人が未だ本件事故について何らの刑事訴追を受けていないこととも符合する。他にこの認定を左右するに足りる証拠はない。

2  (証拠―省略)を総合すると、被告会社は、道路運送車輛法の規定に基づく自動車の分解整備工場を保有して、常に自動車の整備に力を入れ、運転者を厳選し、その技術の向上と過労防止を図り、もつて日々事故の防止に力めていること、被告車についても本件事故の六日前である昭和三六年五月一五日に法令では要求されていない一二、〇〇〇粁走行による点検を行い、特に四輪ブレーキを分解点検し、その部品の一部を新しく取り替えて整備していること、本件事故発生の当日も、毎朝実施する自動車の出庫点検をして何らの機能障害のないことを確認しているし、本件事故発生時まで被告車に少しの異状もなかつたこと、本件事故発生後被告会社の車輛整備士である訴外矢田信夫が被告車を点検した結果、ブレーキには何らの故障もなかつたことが認められる。(中略)被告車のスリップ痕が四輪平均に印されていなかつたことは前示のとおりであるが、この一事だけで被告車のブレーキに故障があつたと認めることもできない。その他右の認定を左右するに足りる証拠はない。原告らは、被告車のブレーキの調整が十分でなかつたために、その停止距離が長びき本件事故が発生した旨主張する。しかし、成立について争いのない乙第五号証の一、二によると、被告車のような四輪乗用自動車が危険を感じてから完全に停止するまでの距離の統計による平均値は、運転者の反応時間を一秒として、時速三〇粁の場合で空走距離が八、三米、制動距離が三、九米であり、時速四〇粁の場合には、前者が一一、一米で後者が七米である。本件事故発生の際の被告車の停車距離は、前示のような路面の状況の下で前示のように空走距離が約六米あり、制動距離五、七米である。もつとも、この制動距離は、原告車と衝突していなかつたならば幾分延びたであろうことは推認できるけれども、両車の重量の差異と、衝突時に原告車は前示のように横向きの形でほとんど停止しているうえ、その後部に被告車が衝突している事実から、原告車によつて被告車の制動距離を大きく左右するような力は働かなかつたと認められ、このことは衝突の際被告車の受けた衝撃は少さかつた旨の証人(省略)の証言によつても肯認できるところである。そうだとすると、被告車の停止距離が、そのことからブレーキの事故を推認させる程異状に長いと認めることはできないから、原告の主張は採用しえない。

2 以上の理由によつて、本件事故は、被告車の運転者以外の者である訴外内野剛の過失によつて生じたものであり、被告及び訴外草野は、被告車の運行について無過失であつたし、被告車には何らの機能上の障害もなかつたと認められるので、被告は、自動車損害賠償保障法第三条但書のすべての免責要件を主張立証したものというべきである。

四、そこで、原告らの本訴請求は、損害の点について判断を加えるまでもなく失当で棄却すべきものであるから、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条の規定を適用して主文のとおり判決する。

東京地方裁判所民事第二七部

裁判長裁判官 小 川 善 吉

裁判官 高 瀬 秀 雄

裁判官 羽 石   大

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